12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日です。

今日は忠臣蔵の討ち入りの日ですね。BSでドラマ「忠臣蔵」の一挙放送をやっているのは、業界恒例のイベントです。この時期、忠臣蔵といえば思い出すのは、私の小学校の同級生のことです。私が通っていたのは京都市の山科の小学校で、同級生はなんと赤穂浪士の直系の子孫でした。大石内蔵助が山科に住んでいたことがあるのでその関係で赤穂浪士の子孫がいても不思議ではないのだと思います。山科には大石神社というのもあるので、今日あたりは義士祭をやっていたはずです。担任の先生が家庭訪問で、彼のお家の人から赤穂浪士の使った武器や、血の着いた討ち入り装束などを見せてもらっとおっしゃっていました。こういう遺品は国指定の文化財などに登録されてしまうと、管理とかの負担が大きすぎるので、その存在は伏せられているとのことでした。こういう遺産が他にもいろいろ世の中には存在するのかもしれませんね。子供の頃にこの話を聞いたので、邪馬台国の卑弥呼がもらった親魏倭王の金印とかも、ひょっとしたらどこかで密かに所持している人がいるのかもしれないなどと、想像を掻き立てられます。

赤穂浪士の仇討があったのは、1703年。この年の前後には、ライプニッツの二進法構想(1702)、近松門左衛門の曾根崎心中の初演(1703)、ニュートンの光学の出版(1704)、ニュートンとライプニッツの微分積分法の先取権をめぐる論争(1704)などがおこっています(編集工学研究所刊行の松岡正剛監修の本「情報の歴史21」による)。ニュートンやライプニッツ、スウィフトなどが活躍していた時代なのですね。1705年にはニューコメン機関も登場しています。以前この本を紹介しましたが、日本が江戸時代の時に世界ではどんなことが起こっていたかなどを簡単に知ることができるおすすめの一冊です。赤穂浪士のことも以前の記事で簡単に書いていますので以下に再録しておきます。

歴史年表 「情報の歴史21」(pdf版)を買いました。