隕石に糖が発見されました―宇宙に存在する糖鎖の発見も間近か!

ニュースでご存知かもしれませんが、日本の東北大学の研究者がNASAの研究者と共同で、有名なマーチンソン隕石などの炭素質隕石に宇宙起源の糖を発見したと報告しています。 有名な米国科学アカデミー紀要に発表されたこの論文です。オープンアクセスのようで誰でも読めます。 簡単な日本語の紹介pdfは東北大学のサイにあります。

Murchinson 隕石は丁度50年前に落下した隕石で今年記念行事が開催されていました。この隕石ともう一つNWA801という隕石の中に、地球に落下してからの汚染ではない、宇宙起源と考えられる糖が複数種類検出されました。Murchinson隕石からはすでに宇宙起源のアミノ酸が検出されていましたが、今回RNAや生命のエネルギー通貨といわれるATPその他のリボヌクレオチド、リボヌクレオシドの成分でもあるriboseが検出された他、 コンドロイチンプロテオグリカンやヘパラン硫酸プロテオグリカンのタンパク質とのリンカー部分の構成成分の糖であるxylose(タンパク質中のSer, Thrに結合する)、そしてarabinose、最後にlyxose(これは珍しい糖)が検出できたそうです(なおDかLかという、検出されたそれぞれの糖のキラリティーは決定されていません)。 以前(1962年や1963年の論文―以下の参考論文の項を参照)にも隕石中にglucoseまたはmannose、xylose, arabinoseを検出したという報告がありましたが地球の生物による汚染の可能性が議論されていました。また2001年にNatureに載った論文では、宇宙起源の3単糖であるdihydroxylacetone (ケトースです)が検出されており、同時に各種の糖アルコールも発見されています。しかし5単糖以上の糖は検出されていませんでした。隕石の中に確実に5単糖の存在が検出されたのは初めてで画期的なことです。また今回の論文では、これらの糖鎖がどのような化学反応で合成されたかについても実験を交えて議論しており、おそらくこの糖鎖がformose反応によってできたであろうという推定の実験も行っています(formose反応については、以前の記事も参照のこと)。糖鎖の起源については平林淳先生の以下の論文もご覧ください。
Hirabayashi J. On the origin of elementary hexoses. Q Rev Biol. 1996;71(3):365–80. [PubMed] []

隕石中の糖についての参考論文:1) Degens, E. T. & Bajor, M. Amino acids and sugars in the Bruderheim and Murray meteorite. Naturwissenschaften 49, 605–606 (1962).
2) Kaplan, I. R., Degens, E. T. & Reuter, J. H. Organic compounds in stony meteorites.
Geochim.Cosmochim. Acta 27, 805–834 (1963).

宇宙には前に書いたように炭水化物が検出されていましたが、昔イギリスの有名な天文学者Fred Hoyleが宇宙塵の示す赤外線吸収スペクトルパターンはsporopolleninやポリサッカライド、あるいはバクテリアの外壁の多糖類類似のもの由来であるという説を唱えて論文がNatureに掲載されていました。
HOYLE, F., WICKRAMASINGHE, N. Polysaccharides and infrared spectra of galactic sources. Nature 268, 610–612 (1977) doi:10.1038/268610a0

宇宙由来の糖鎖がついに発見された今、はやぶさ2が小惑星りゅうぐうのサンプルを採取して帰還の途へつこうとしています。ひょっとしたら りゅうぐうのサンプルの中に、世界ではじめて糖鎖が検出されるかもしれませんね。とても楽しみです。(写真は1週間ほど前に撮った金星と木星の写真です)

 

元寇防塁の上で毎日暮らしていました!九大箱崎キャンパスの遺跡が国の史跡指定へ

今日夕方のNHK福岡の放送で、九大跡地の元寇防塁が国の史跡指定へというニュースを放送していました。調べてみると、九州大学が伊都へ移転する前に私達がいた箱崎キャンパス、それも理学部本館から中央図書館、農学部などにわたって元寇防塁跡の石組や溝のあとが点々とみつかっているようです。防塁あとは工学部へものびています。箱崎キャンパスの卒業生の皆さんはこの地図を見ると興味津々でしょう。この地図は九大が昨年発表したこの報告のpdfにある図からとったものです。理学部では理学部会議室の下あたり、ちょうどバーベキューをやれるスペースの周辺に石積み遺構あと(赤い線で表示)や溝状の遺構(青い線で表示)がみつかっているようですね。赤い石積み遺構は図の右上にある赤い点線(地蔵松原公園の元寇防塁遺跡)から農学部、中央図書館、理学部本館へと連続して続いているように見えます。理学部本館にあった私達の研究室は理学部会議室のすぐそばの二階にありましたから、毎日窓から眺めていたあたりに元寇防塁があったわけです。箱崎キャンパスは、昔は海に近かったようで松林の名残の松も点々としていました。去年、筥崎宮が元寇のとき避難してきた史跡を訪れた記事を書きましたが、やはり博多は元寇にまつわる史跡が多いですね。しかしまさか箱崎キャンパスの理学部や中央図書館、防音講義室、システム生命学府棟、農学部あたりに防塁があったとは驚きでした。

下の図は九大の所蔵する蒙古襲来絵詞(模本)の高精細画像です。主人公である竹崎季長(たけざき・すえなが)の活躍を描く絵巻物で18世紀末に発見された原本をかなり早い時期に複製したものと考えられているそうです。絵巻物の「季長、生の松原の石築地の前を通過する」の場面で防塁を通過しているところが描かれています。