あけましておめでとうございます!2021年迎春

新年あけましておめでとうございます。昨年は新型コロナウイルスに社会がひっかきまわされた一年でしたが、今年はもとの平穏な社会がもどってくることを願っています。元旦の今日は、新型コロナウイルスについて詳しく解説したパンフレットと、トランプ大統領などの治療に使われた新型コロナウイルスに対する抗体医薬品について紹介します。

このブログでもコロナウイルスについては何回か触れましたが、ここに「新型コロナウイルス感染症COVID-19 診療の手引き 第4.1版」という医療関係者向けの厚生労働省発行の手引きがあるのをみつけました。どうやってPCRをやるのかとか、潜伏期間はどれくらいとか、症状や、マスクや消毒の効果などなど、各自の知識に応じて興味深く読むことができる内容です。読むと新型コロナウイルス感染症の全貌がわかるのでダウンロードして手元に置いておくのをおすすめします。

Google検索していたら、以前の記事で紹介したVir Biotechnology社の抗体医薬品は第3相の世界規模の試験に入ったのがわかりました。またニュースによると(英語のリンクです。日本語の記事は以下を参照してください)同じ記事で紹介していたvaccinal effect (おおざっぱにいえば抗体を投与した後、まるでワクチンをうたれたような防御効果がでる現象です)がインフルエンザウイルスに対する抗体に関して確認されたという論文を、同社が雑誌Natureに載せているそうです。このNatureの論文についてはここに日本語による紹介の記事をみつけましたのでリンクしておきます。またこちらにもわかりやすい日本語での紹介があります。この論文ではウイルスや癌細胞を殺す抗体(ウイルスや癌細胞にある特異的なタンパク質や糖鎖に対する抗体で治療用に使う抗体です)の根元の部分のアミノ酸配列に3箇所のアミノ酸配列変異、いわゆるGAALIE突然変異を導入するという手法を使っています。GAALIE突然変異というのは、G236A/A330L/I332Eの変異から “GAALIE”と名付けられた変異のことす。抗体の研究で有名なKabatさんのデータベースでの抗体のアミノ酸配列の番号づけ(EU index in Kabat )で、Fc領域にある236番目のアミノ酸グリシン(G)をアラニン(A)、330番目のアラニン(A)をロイシン(L)、332番目のイソロイシン(I)をグルタミン酸(E)に変化させた抗体を作成することです。

この三箇所の変異を導入した抗体を人工的に作って投与したらインフルエンザウイルスに対する強いvaccinal effectが観察されたそうです。

このGAALIE突然変異によるvaccinal effectはもともと癌の治療薬として使われた抗体の研究で見つかりました。現在利用されている多くの腫瘍マーカーは糖鎖です。膵臓癌や胃癌、大腸癌などの診断に広く活用されている腫瘍マーカーとしてCA19-9(シーエーナインティーンナイン)というのがあります。これは4つの糖が結合した糖鎖でシアリルルイスa (Sialyl Lewis A (sLeA))と呼ばれる糖鎖(シアル酸がついた糖鎖でシアリルルイスエーと読みます)のことです。この糖鎖の発現がこれらの癌で高まることから、この糖鎖は極めて有用な腫瘍マーカーとして、現在臨床検査で活用されています。

この糖鎖と結合する抗体を投与することで癌細胞を殺す治療法が研究されていました。この治療用のシアリルLewis aに対する抗体の根元部分(Fc部分)にGAALIE突然変異を入れた抗体を作って投与すると、vaccinal effectがみられることが発見されて論文になっています。ここにロックフェラー大学の特許へのリンクがあります)。最初に紹介したNatureの論文では、インフルエンザウイルスに対する抗体で、このアミノ酸配列の三か所での改変を行うと、インフルエンザウイルスに対する高い免疫効果がみられたそうです。同様の改変はもちろんSARS-CoV2の治療抗体でも既に実施されています。

このように新型コロナウイルスに対する治療用抗体薬品の開発もすごい勢いで進んでいますので、COVID-19に感染しても抗体で治療することが容易になる日も近いと思われます。ワクチンの開発もすすんでいますし、今回 phase IIIに進んだというのを紹介したFc部分を改変したヒト型モノクローナル抗体も巨力な治療効果が期待されるので、ちょっと明るい希望が見えてきた元旦だと思います。みなさんもどうぞゆっくり休んで英気を養って、コロナにまけないように今年もがんばっていきましょう。

お正月ですので、写真は床の間の掛軸とハイビスカスの花にしました。般若心経の掛軸を飾っています。

ヒトの細胞の世界:世界で一番詳しい解説図が公開されています

世界一詳しいヒトの細胞の図解が2018年に公開されています。細胞を構成している分子についての知識は飛躍的に増えていて、X線結晶構造解析、核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance: NMRと略します)、クライオ電顕などを使って、細胞内での生体分子の様子がずいぶんわかってきました。その成果の集大成の図といえるでしょう。

こんな図です。きれいですね。秘密の花園みたいにきれいです。図には二つの細胞が描かれています。図の右上隅の細胞は、カドヘリンを介して画面のほとんどを占めている細胞と接着しています(この記事の下から二番目の図にカドヘリンのある場所がしめしてあるのでご覧ください)。画面左上からカドヘリンによる接着部位に向かって広がっているのは細胞膜とその膜上および膜外(細胞外基質)にあるいろいろな分子です。画面左下の黄色いバスケットのように見える部分(核膜孔)の周りの膜は、核膜などでその下は核の内部です。青い紐はDNAでいろんな転写因子も描かれています。

Cellular landscape cross-section through a eukaryotic cell, by Evan Ingersoll & Gael McGill – Digizyme’s Molecular Maya custom software, Autodesk Maya, and Foundry Modo used to import, model, rig, populate, and render all structural datasets
こちらには同じ図ですが、図のあちこちをクリックすると分子の名前だとか分子の詳しい説明などがみられる図(クリックしてサイトを開いてみてください)が掲載されています。ページを開くと上の図が大きく表示されていますが、下に6枚、上の図の部分図が表示されています。絵で描かれている分子の部分をクリックすると、分子の名前が英語で表示され、ダブルクリックすると分子の情報を英語で詳細に書いてあるページが開きます。以下の図はこのサイトの使い方の一例です。
図の中の細胞と細胞の接着部位にある分子をクリックしてみましょう。

マウスカーソルが指に変わって、n-cadherinという分子名が表示されます。これはN-cadherinです。

下の図に示すように、各図の左上にSelect a pathwayと書かれているプルダウンメニューがあります。プルダウンして、Cell Structureを選んでみましょう。以下のような細胞の構造に関わっている分子とその分子名が一斉に表示されます。これでチューブリンだのアクチンだのがどこにあるかが一目瞭然ですね。それぞれの分子をクリックすると分子の解説ページが開きます(何故かN-cadherinの場合は開きませんでした)。

この図で灰色っぽい白に表示されているのは、細胞膜です。上の細胞と下の細胞が結合している部分にN-カドヘリンがびっしり膜から生えているように見えるのがわかると思います。この接着部位は、接着結合(adherens junctions)あるいはその一例である 細胞をぐるっと取り囲む接着帯(adhesion beltあるいはzonula adherensとも言う)と呼ばれています。図の細胞膜の表面(図の左上のすみのほう)には、プロテオグリカンの一種であるperlecanが描かれています。図をひらいてみていろいろクリックしてみて細胞がどんな分子で構成されていて、それぞれの分子がどこにあるかなどをみてみてください。
このMcGillさんたちが作った図では分子の密度は実際のものより薄まっていると書かれています。実際はもっと細胞内は分子が込み合っているようです。

オンラインシンポジュウム 糖の起源と進化~宇宙 & 深海~は明日zoom開催です。今日8/20中に参加登録してください

毎日酷暑が続いていますが皆さんお元気ですか。庭の百合も山百合もあちこちで満開です。さて明日21日は、比較グライコーム研究会のzoomシンポジュウムがある日です。

今8月20日木曜日中の参加申し込み受付ですので、ここから是非申し込んでご参加ください。プログラムと申込みリンクはこちらにあります。

新型コロナウイルスに対するワクチンはもう存在している?―新型コロナウイルスと闘う糖鎖生物学

先日の記事で新型コロナウイルスSARS-CoV-2について糖鎖生物学からのアプローチを紹介しました。    その記事で紹介していたbioRxivに公開されているプレプリントの論文が査読を終えて有名な科学雑誌Natureに掲載され無料公開されています
   2003年のSARSの流行の時ロンドンで感染から回復した人がいます。その人のもっているメモリーB細胞(memory B cell)をとりだし、SARSウイルスと結合する中和抗体が存在することをつきとめ、その抗体を産生する細胞を不死化してモノクローナル抗体をつくりました(S309と名付けられています)。この抗体分子の全アミノ酸配列もわかっています。この抗体がSARS-CoVおよびSARS-CoV-2の共通の部位(具体的にはウイルスのスパイクタンパク質の、ヒトの細胞表面にあるアンギオテンシンコンバーティングエンザイムACE2分子と結合する部位とその周辺のN型糖鎖)と結合してウイルスを不活性化することがわかりました。Vir Biotechnologyという企業がこの抗体を新型コロナウイルに対する予防薬、治療薬として開発しており、まもなくフェーズ1と2の臨床試験を開始するそうです。これはワクチンではなくて洗練された血清療法のようなものです。新型コロナウイルスにかからないように医療関係者にあらかじめこの抗体を投与しておくとか、コロナウイルスにかかった患者さんの治療薬として使うわけです。この抗体は遺伝子操作で血中の半減期を伸ばしてあり、さらにvaccinal effect という効果で、投与した人に新型コロナウイルスの免疫を与えるように抗体の改変がおこなわれているそうです(Vir Biotechnologyのホームページによる情報)。Natureにでた論文は、前の記事の末尾で紹介したbioRxivにアップロードされていた論文ですので、bioRxivのようなプレプリントサーバーの素晴らしさをこの例からも実感できることと思います。
   このNatureの論文の責任著者は、David Veesler先生(ワシントン大学)で、新型コロナウイルスが結合するヒトの細胞表面分子(ウイルスレセプターと呼ばれます)がアンギオテンシン・コンバーティングエンザイム(ACE2) であることを発見した人です。コンバーティングエンザイムというのは、要するにタンパク質分解酵素のことで、アンギオテンシンの前駆体蛋白質を一定箇所で切断して活性型のアンギオテンシンペプチドを作り出すタンパク分解酵素です。Veesler先生の5月27日に行ったジョンズホプキンス大学セミナーの講演が、NIHのvideo castで公開されていますので下にリンクを載せておきます。SARS, MERS, SARS-CoV, SARS-CoV-2ウイルスのグリカンシールドの解析、ACE2との結合の様子、ウイルスの侵入の様子、様々なコロナウイルスに対する抗体の解析など情報満載の講演です。

高画質でダウンロードも可能ですのでこちらにアクセスしてご覧ください

コロナウイルスは、ウイルスの表面にあるSpike タンパク質(S protein) が三つ集まった複合体(三量体といいます)でACE2分子と結合します。Veesler先生たちの研究で、このSタンパク質三量体が開いたり閉じたりして、ACE2と結合することがわかりました(上の動画にありますので探してみてください)。さらに上で述べたようにS309抗体はACE2分子に結合するウイルスのSタンパク質の、特定のアミノ酸配列と付近のN型糖鎖と結合する抗体であることもわかっています。この配列はすべてのコロナウイルスに共通しており、S309抗体はSARSウイルス、コロナウイルスSARS-Co-V、そして新型コロナウイルスSARS-CoV-2を中和することができるのです。S309抗体(抗体は糖鎖が付加されたタンパク質です)の全アミノ酸配列も遺伝子配列もわかっており、ウイルスのS タンパク質と結合する部分であるFab(Fragment antigen bindingといいます)よりは、IgGの抗体分子そのものの方が中和活性は強いようです。S309といくつかのコロナウイルスに対するモノクローナル抗体を混ぜたものが最も中和活性が強く、この抗体カクテルを使えば、変異したコロナウイルスがまじっていてもきれいに中和できるのでウイルスが変異したものがまじっていても一網打尽に中和・不活性化できると期待されています。

S309抗体は、そのままでは予防薬、治療薬になるだけなのですが、遺伝子配列を変更することでSタンパク質への結合力を上げたり(分子進化の手法)、血清中での安定性を高めたりできます。またIgG抗体は糖鎖修飾されているのですが、その糖鎖からフコースを取り去ると抗体依存性細胞傷害活性(ADCC)が劇的に上がります(日本の糖鎖生物学の有名な成果です)。こうした様々な方法で抗体の作用を高めることもできます。もちろんADCCとかがやたらにおこると致命的になるかもしれませんし、予備的な十分な研究が必要なのはいうまでもありません。また上で述べたvaccinal effectというのも期待できそうです。癌の治療に使うモノクローナル抗体を投与した後、抗体が消えたあとにも癌細胞を攻撃する免疫が生み出される場合があることで有名です。エイズの治療とかでもvaccinal effectはみられるようで、S309モノクローナル抗体で新型コロナウイルスに対してvaccinal effectをひきおこすことができればこれは、ワクチンにもなるわけです。

昔はウイルス感染症から回復したり、感染しても症状が出ない人がみつかってもS309のような抗体を分離することは不可能でした(映画やSFではそれができるかのように描いているものが多かったですね。たとえばアウトブレイクという映画では、ウイルスの宿主で症状がまったくでないサルをみつければその宿主の血清から治療薬がすぐできたりしていたと思います。アウトブレイクの映画をもとにした看護学の教科書―アウトブレイクの映画をみて間違い探しをしながら学ぶという趣旨の本も図書館でみたことがあります。時代が進んだ今では、新型コロナウイルスに感染して回復した人の免疫細胞から抗体をとりだすというアプローチが盛んにおこなわれているそうです。たとえばこちらの雑誌Scienceにのった記事です。生命科学の飛躍的発展によっていまやそれが可能になってきているのですね。新型コロナ対策のみならず多くの感染症対策の一つの道が拓かれていっているのが実感されます。

新型コロナウイルス SARS-CoV-2と戦う糖鎖科学(糖鎖生物学入門 番外編)

新型コロナウイルスSARS-CoV-2(サーズ・シーオーブイ・ツーと読みます)についてのメモです。
1) このウイルスはenvelopeタイプのウイルスとよばれていて、外側に殻envelopeをかぶっているため消毒用アルコールとか、洗剤とかにふれると殻の部分のタンパク質が変性するので不活性化できます。それで70%程度のエタノール消毒(エチルアルコール=エタノールの原液では瞬間に揮発するので変性効果に乏しい)とか手洗いとかが感染予防に大事なわけです。

2) このウイルスはRNAウイルスですがRNAウイルスとしては例外的に、遺伝子配列の変異が少ないです。これはコロナウイルスが遺伝子複製のときに正確に自分のRNAを複製するメカニズム(校正機能 proofreading activity)をもっているためです。(校正機能をもつ酵素proofreading exoribonuclease / Guanine-N7 methyltransferase (ExoN)遺伝子や校正に働くとされるnsp7やnsp8の遺伝子をウイルスのゲノムにもっています。註1参照)。この校正機能が存在するので、今回の新型コロナウイルスは、インフルエンザウイルスで恐れられている激しい突然変異による強毒化する確率は低いのです。しかし最近、校正機能が低下したウイルスがヨーロッパで見つかっているようで注目されています。詳しくは註1とそこにあげた論文を参照してください。これに関しては、抗ウイルス薬として注目されているアビガンの開発者 白木公康先生たちが医事新報に掲載されている緊急寄稿1-3もご覧ください。薬剤耐性のみならず、ウイルスの感染予防についても詳しくわかりやすく書かれていて、大変参考になる内容です。

ところで新型コロナウイルスに感染しない人が存在するのをご存知でしょうか。
  以前、ウイルスは糖鎖を介して感染するという話をしました。エイズウイルスにしろコロナウイルスにしろ、ウイルスのタンパク質やウイルスと結合する細胞の受容体(レセプター)には糖鎖がついており、ほとんどすべてのウイルスは糖鎖を介して感染するので、この糖鎖が変化すればウイルス感染に影響を及ぼすことが予想できます。実際、N型糖鎖の合成の最終段階の酵素の一つMOGS (Mannosyl oligosaccharide glucosidase)の遺伝子に異常がある患者さんの場合、患者さんはウイルスに感染しないことがわかっています。この酵素が異常な患者さんでは血中の抗体の量が著しく減少しているのですが(註2参照)、なんとウイルス感染はおこりません。患者さんから取り出した細胞もテストしてみると、ウイルス感染耐性を示します(論文はここhttps://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4066413/ からたどれます)。これは、ウイルスのもっているタンパク質のN型糖鎖と、患者さんのもっているウイルス受容体のタンパク質のN型糖鎖が共にこの酵素MOGSの欠損で異常になるため、タンパク質が正しく折りたためず正常な立体構造がとれなくなってしまうためです。ウイルスタンパクが正しく折りたためず正常な立体構造がとれない上に、ウイルスの受容体のN型糖鎖も異常で正しく折りたためないため、ほとんどのウイルスは感染能力を失ってしまうのです。

このようにN型糖鎖が異常になることでウイルスに感染しないという人が存在することが明らかになっています。この例は、糖鎖についてよく理解して研究してその成果を応用すれば、ウイルス感染のない世界がやってくるかもしれないと期待させてくれます。(実際、MOGS酵素の活性を阻害するイミノ糖を与えることでSARS-CoVやエイズウイルスHIV、そしてジカ熱をおこすZika ウイルスなどの培養細胞への感染を抑えられるという論文もでています。)

さて、新型コロナウイルスの糖鎖です。新型コロナウイルスはその一番外側に突出しているスパイクタンパク質が、ヒトの細胞表面にあるACE2という分子に結合、細胞表面のタンパク分解酵素の作用でヒトの細胞膜と融合してウイルスの遺伝情報を細胞に感染させます。
上のわかりやすい図はAMED(日本医療研究開発機構)の研究成果のプレスリリース(2020.3.23)
Identification of an existing Japanese pancreatitis drug, Nafamostat, as a candidate drug to prevent transmission of SARS-CoV-2 からの引用です。膵炎の治療薬として使われているナファモスタットという薬が新型コロナウイルスの感染を抑える薬として使える可能性を報じています。

図にあるスパイクタンパク質は高度に糖鎖修飾されていて以前紹介したグリカンシールドを作っています。

上の図は新型コロナウイルスのスパイクタンパク質の糖鎖を示しています。ウイルスタンパク質の糖鎖はグリカンシールドをつくって抗体の攻撃をかわします。エイズウイルスのグリカンシールドは、抗体による攻撃を免れるのにきわめて有効でワクチンがつくりにくいのですが、新型コロナウイルスの場合は、幸いなことにこのグリカンシールドは不完全であちこちにグリカンシールドの穴があります。

図では一つのスパイクタンパク質を二つの異なる方向からみています。グリカンシールド(N型糖鎖のみ示してあります)の部分はball and stick模型で表示されており、糖鎖の種類によって色分けしてあります。緑がマンノース9個からなるN型糖鎖の部分、濃い黄色がマンノース5つを含むN型糖鎖、オレンジがハイブリッドタイプのN型糖鎖、ピンクが複合型のN型糖鎖です。タンパク質部分での抗体のアクセスしやすさも表示してあって、黒が最もアクセスしにくい部分、赤が最もアクセスしやすい部分です。赤い部分は抗体がアクセスしやすいのでワクチンの標的になり得ることがわかります。こうした糖鎖科学の知識にもとづいて、スパイクタンパク質のどの部分がグリカンシールドで覆われていないかを知って、その部分を標的とした抗体を作れば、有望な新型コロナウイルス予防ワクチンができるはずです。(糖鎖の存在を無視してやみくもに抗体を作ろうとしてもグリカンシールドで覆われているところを標的としてはうまくいかないのです。)この図はBioRxivにあるGrant et alの論文の図1です。https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2020.04.07.030445v2.full#F3

グリカンシールドをものともせずにウイルスを攻撃できる抗体というのはあるのでしょうか?その候補の一例についてもBioRxivの論文にでていました。以前流行したSARSコロナウイルスから回復した人の血清中にはウイルスを攻撃する抗体が存在します。その抗体を増やして調べてみると(註3参照)新型コロナウイルスのスパイクタンパク質のN型糖鎖の一つと、その糖鎖がついているタンパク質の一部分(ACE2と結合するreceptor binding domain RBDとは違う部分です)に強力に結合することがわかりました。S309と名付けられたその抗体ともう一つの、同様に得られた抗体を併せて使うと新型コロナウイルスの感染を強力に阻害することができるそうです(記事の末尾のBioRxivの論文参照)。

現在、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質と、スパイクタンパク質に結合している糖鎖、そしてグリカンシールドの立体構造の研究が急ピッチですすんでおり、糖鎖を理解することで新型コロナウイルスの感染を抑え込む有力なアプローチとして注目されています。

最新の糖鎖生物学の研究成果によると、新型コロナウイルスSARS-CoV-2は感染するときに、ACE2だけでなく細胞表面にあるシアル酸とも結合して感染していることがわかっています。まずスパイクタンパク質がシアル酸に結合し、その後でACE2と結合するようです。(シアル酸はインフルエンザウイルスの感染でもでてきましたね)また、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質のアミノ酸配列にはグリコサミノグリカンとの結合配列というのが見つかっており、グリコサミノグリカンの中でもヘパリンと結合するのだそうです。これは血液凝固阻害で治療によく使われる物質ですので特に重要ですね。またN型糖鎖だけでなくO型糖鎖の果たす役割の研究も進んでいます。こうしたすべての研究は、糖鎖がウイルス感染に決定的な役割を果たしていることを示しています。

註1:ウイルスの複製のときは、RNA合成酵素RdRp(RNA dependent RNA polymerase=ウイルスのRNAを鋳型としてウイルスのRNAを合成する酵素) とnsp 7 (nonstructural protein 7) とnsp8、およびExoNが複合体をつくって校正機能を示すようです。最近、RdRpの変異したウイルスがヨーロッパやアメリカでみつかっており、これは校正機能がうまく働かなくなっているらしいです。校正機能をもつExonN, nsp7, nsp8などとの相互作用がうまくいかないことがその原因と想像できます。そのウイルスでは点突然変異のメジアンが1から3に増えているのがわかったそうです。校正機能が低下して配列に突然変異を多く起こすとそのウイルスは滅びるのでしょうか?あるいは強毒化するでしょうか。もっとも重要な遺伝子の複製酵素が異常になったいわば病気のウイルスですので、どうなるか注目したいと思います。論文はここにあります。
https://translational-medicine.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12967-020-02344-6

註2:これは抗体の糖鎖修飾が損なわれているため、血中での抗体の寿命が短くなることでおこる現象です。抗体にも糖鎖が結合して重要な働きをしているということを覚えておいてください。

註3: SARSから回復した人の血中にあったメモリーB細胞をEBVウイルスに感染させて不死化して株細胞にした細胞が産生するモノクローナル抗体で、S309と呼ばれています。


より詳しく知りたい人のために―動画と文献の紹介です;
グリカンシールドの研究では、 分子動力学(MD: Molecular Dynamics)による解析(MD解析)が盛んです。スパイクタンパク質のタンパク質部分の立体構造をもとに、それにN型糖鎖付加(どんなN型糖鎖が実際付加されているかもかなり詳しくわかっています。ウイルスが育つ細胞によって糖鎖構造は変化するのですが、どのような糖鎖でもグリカンシールドとしては働くようです)をさせた分子を計算機中にモデル化して、その時間的な動きを計算で追跡していきます(ニュートン力学に基づく分子内の運動の計算を行います)。この方法で、生きている細胞中でグリカンシールドの糖鎖がどのように動いているか、スパイクタンパク質のどの部分がワクチン候補の抗体がねらうべき部分かなどを解析できるわけです。上にあげた図も分子動力学による解析で作成されました。実際SARS-CoV-2のスパイクタンパク質について解析したムービーとしてはNIHで今月初めに開催されたオンラインワークショップのムービーをご覧ください。NIHからダウンロードしたムービーの3時間9分47秒あたりからMD解析の結果の一部がみられます。同じムービーの3時間46分52秒あたりにもMannoseが9個つらなった糖鎖部分M9がスパイクタンパク質のポケット部分に這っていく動画がでていますのでご覧ください。
このオンラインワークショップ“Coronavirus, SARS-CoV-2, & Glycans”は以下のリンクにありますのでダウンロードしてご覧ください。
https://videocast.nih.gov/Summary.asp?file=29093&bhcp=1
最新の糖鎖生物学がどのように新型コロナウイルスと闘うのに役立っているかがよくわかります。下の写真はこのワークショップのオープニング画面のキャプチャです。
新型コロナウイルスと戦う糖鎖生物学の成果については、BioRxivの論文をみると大いに役立ちます。BioRxivの論文は査読をうけていませんが、しばらくすると有名雑誌に掲載されるものが多数ありますので是非、定期的にチェックしてみてください。たとえばOxford大学のWatanabeらによるBioRxivにでた論文
Site-specific analysis of the SARS-CoV-2 glycan shield
Yasunori Watanabe, Joel D. Allen, Daniel Wrapp, Jason S. McLellan, Max Crispin
最近Scienceに査読を終えて以下のリンクに掲載されています。
https://science.sciencemag.org/content/early/2020/05/01/science.abb9983

以下の論文も注目されています。
Analysis of the SARS-CoV-2 spike protein glycan shield: implications for immune recognition:doi: https://doi.org/10.1101/2020.04.07.030445

Structural and functional analysis of a potent sarbecovirus neutralizing antibody
doi: https://doi.org/10.1101/2020.04.07.023903

他にもいろいろあるので検索してみてください。

高校生に知ってほしい強力ツール:ベンゼンの異性体を描いてみよう!

高校生に知ってほしい強力ツール ベンゼンの異性体を描いてみよう!:化学式から異性体の構造(環や二重結合、三重結合の存在可能性)を推定する方法

今年も残すところあと一日となりました。今年の福岡はことのほか紅葉がきれいで長く続きました。写真は11月に大宰府近くにある竈門神社(かまどじんじゃ)に行った時に境内で撮影した紅葉です。青空に映えてとてもきれいでした。

さて、今日は一足早いお年玉ということで、有機化学を学び始めた高校生や受験生、一般の方々に是非覚えておいてほしい強力なツールを紹介します。試験問題を解くのにも大活躍しますので、活用してみてください。

先日のブログで、三炭糖のdihydroxylacetoneが隕石の中から発見されているというお話をしました。C3H6O3という分子式で示される物質がどのような構造をしているかを推定する簡単な方法を紹介します。これは有機化合物の構造を質量スペクトルやNMRなどで推定する際に常用される方法です。(たとえば「有機化合物のスペクトルによる同定法 (第8版)」(東京化学同人)をご覧ください)

分子式はその物質がどのような元素からなり、それぞれの元素が何個あるかという情報の他に、分子内にある環や不飽和結合(二重結合や三重結合)の数についても教えてくれるのです。不飽和結合の存在や環の存在によって結合している水素の数が、環や不飽和結合がない場合にくらべてどれくらい減っているかを示すhydrogen deficiency indexという数を分子式から計算することができます。このインデックス(数)を計算すると、分子式内の二重結合の数、三重結合の数の二倍の数、および環状構造の個数の合計がわかります。計算の仕方は以下のとおりです。

hydrogen deficiency index=(炭素数+1)ー水素数/2ーハロゲン数/2+三価の窒素数/2です。

たとえばC3H6O3(つまり炭水化物C3(H2O)3の場合)なら、上の式で炭素数3、水素数6、酸素数3なので、(3+1)-6/2ということで1がインデックスとなります。つまりこの分子式で表される分子には二重結合が1個あるか、または環が一個あるだろうと予測できるわけです。ケトースもアルドースもありうることがわかりますね。

C7H7NOの場合だと、炭素原子数が7、水素が7、窒素が一個で酸素が1個ですので、インデックスは(7+1)-7/2+1/2となり、5となります。この分子はたとえばベンズアミドでありうるわけです。ベンゼン環には二重結合3つ、環が一個ありますからそれだけで4となりあとはアミド結合の酸素と炭素の間の二重結合が1となり合計5になります。この分子式でインデックスが5になるような異性体を練習に書いてみてください。

簡単な練習としてはC6H6が面白いです。良く知られているのはベンゼンです。しかしこの化学式で示される分子はもっといろんなものがあり得ます。

C6H6という分子のインデックスは炭素6個に水素6個ですから、(6+1)-6/2で4です。ベンゼンなら環が1個で二重結合3個ですのでたしかに4となってあっています。しかし環が1個で三重結合が1個(1x 2=2)、二重結合が1個でも4ですよね。大学生のときこのインデクスを使ってものすごい数の構造異性体を書いて遊んでいたのを思い出します。うちの奥さんが地味な遊びや、といっている声が聞こえますが‥‥。
解答例をはりつけておきます。もっといろいろ(合計30種類以上)書けますので試してみてください。(図は、ChemSpider(無料の化学構造のデータベースで、テキスト検索や構造検索ができます)という便利な化学のサイトで分子式C6H6の異性体を検索した結果から、一部を抜き出して、図を改変したものです。もとのページを見たい方はこちらです。)

もっと一般化したインデックスの計算式は以下のようになります。
hydrogen deficiency index =(Ⅳ)+1-(/2)+(Ⅲ/2)
ここでⅣというのは4価の元素(炭素Cとかケイ素Siの原子の数)
Ⅰは一価の元素の数、つまり水素Hやハロゲン(ClとかFとか)の原子数の合計
Ⅲは三価の元素の原子の数、つまり窒素Nとかリン原子Pなどの数です。

下の写真は竈門神社本殿そばの池に浮かんでいた もみじの落ち葉です。ゆっくりと風にふかれて水面をただよっていました。

隕石に糖が発見されました―宇宙に存在する糖鎖の発見も間近か!

ニュースでご存知かもしれませんが、日本の東北大学の研究者がNASAの研究者と共同で、有名なマーチソン隕石(初版のブログでマーチンソンと書き誤っておりました。お詫びして訂正します)などの炭素質隕石に宇宙起源の糖を発見したと報告しています。 有名な米国科学アカデミー紀要に発表されたこの論文です。オープンアクセスのようで誰でも読めます。 簡単な日本語の紹介pdfは東北大学のサイにあります。

Murchison 隕石は丁度50年前に落下した隕石で今年記念行事が開催されていました。この隕石ともう一つNWA801という隕石の中に、地球に落下してからの汚染ではない、宇宙起源と考えられる糖が複数種類検出されました。Murchison隕石からはすでに宇宙起源のアミノ酸が検出されていましたが、今回RNAや生命のエネルギー通貨といわれるATPその他のリボヌクレオチド、リボヌクレオシドの成分でもあるriboseが検出された他、 コンドロイチンプロテオグリカンやヘパラン硫酸プロテオグリカンのタンパク質とのリンカー部分の構成成分の糖であるxylose(タンパク質中のSer, Thrに結合する)、そしてarabinose、最後にlyxose(これは珍しい糖)が検出できたそうです(なおDかLかという、検出されたそれぞれの糖のキラリティーは決定されていません)。 以前(1962年や1963年の論文―以下の参考論文の項を参照)にも隕石中にglucoseまたはmannose、xylose, arabinoseを検出したという報告がありましたが地球の生物による汚染の可能性が議論されていました。また2001年にNatureに載った論文では、宇宙起源の3単糖であるdihydroxylacetone (ケトースです)が検出されており、同時に各種の糖アルコールも発見されています。しかし5単糖以上の糖は検出されていませんでした。隕石の中に確実に5単糖の存在が検出されたのは初めてで画期的なことです。また今回の論文では、これらの糖鎖がどのような化学反応で合成されたかについても実験を交えて議論しており、おそらくこの糖鎖がformose反応によってできたであろうという推定の実験も行っています(formose反応については、以前の記事も参照のこと)。糖鎖の起源については平林淳先生の以下の論文もご覧ください。
Hirabayashi J. On the origin of elementary hexoses. Q Rev Biol. 1996;71(3):365–80. [PubMed] []

隕石中の糖についての参考論文:1) Degens, E. T. & Bajor, M. Amino acids and sugars in the Bruderheim and Murray meteorite. Naturwissenschaften 49, 605–606 (1962).
2) Kaplan, I. R., Degens, E. T. & Reuter, J. H. Organic compounds in stony meteorites.
Geochim.Cosmochim. Acta 27, 805–834 (1963).

宇宙には前に書いたように炭水化物が検出されていましたが、昔イギリスの有名な天文学者Fred Hoyleが宇宙塵の示す赤外線吸収スペクトルパターンはsporopolleninやポリサッカライド、あるいはバクテリアの外壁の多糖類類似のもの由来であるという説を唱えて論文がNatureに掲載されていました。
HOYLE, F., WICKRAMASINGHE, N. Polysaccharides and infrared spectra of galactic sources. Nature 268, 610–612 (1977) doi:10.1038/268610a0

宇宙由来の糖鎖がついに発見された今、はやぶさ2が小惑星りゅうぐうのサンプルを採取して帰還の途へつこうとしています。ひょっとしたら りゅうぐうのサンプルの中に、世界ではじめて糖鎖が検出されるかもしれませんね。とても楽しみです。(写真は1週間ほど前に撮った金星と木星の写真です)

 

生命科学志向の有機化学の教科書が無料で読めます!量子化学の教科書とかもあります

台風や洪水で被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

さて今回は、生化学や糖鎖生物学、あるいは生命科学を学ぶ人に適当な有機化学の教科書として以下の本をみつけたので紹介しておきます。また無料で科学や歴史、英語などを学べるサイトも紹介します。
Organic Chemistry with a Biological Emphasis Volume I
Organic Chemistry with a Biological Emphasis Volume II
この二冊は、わかりやすい英語で書かれた教科書で、ミネソタ大学モリス校のサイトにおいてあって、無料で利用できるオープンソースのライセンスの教科書です。下の画像をクリックすると、化学以外を含めた様々な分野のオープンライセンスの教科書がみつかります。(画像をクリック後に開いたページの左側にあるBiological/Physical Sciencesをクリックすると生物、物質科学関係の本のリストがみられます。)

Find Open Textbooks

著者のTim Soderbergさんはもとは英語専攻で、日本で英語教師を5年ほどやっておられたそうです。その後、大学に入りなおして科学を専攻し、大学院入学資格を得た後、ユタ大学の大学院に入ってJournal of Organic ChemistryのEditor-in-Chiefを長年つとめたDale Poulter先生の指導のもとで、アーキア(古細菌)の酵素であるprenyltransferaseの研究(それぞれtRNAと膜脂質の修飾に働く2種の酵素の研究)で生化学で博士号を取得。2000年から2016年までミネソタ大学の准教授として有機化学を教えておられた方です。生化学の研究をしていた、有機化学に詳しい先生の書いた本なので生体分子をとりあげて有機化学を学ぶという方針で書かれています。これは生命科学を学ぶ人のための有機化学の教科書としておすすめできると思います。章内問題の解答や章末問題の一部の解答もダウンロードできますので勉強しやすそうです。

あと、Open Educational Resources (OER)というのをご存知ですか。無料の教科書やビデオを駆使して教育していこうという趣旨の運動のようで、無料で数学、物理、化学、生物学その他を学べるという運動です。有機化学については、以下のOERのサイトもご覧ください。
https://oerdegrees.org/courses/chemistry/
https://oerdegrees.org/courses/organic-chemistry/

いろんな無料で利用できる教材へのリンクが集まっているポータルサイトです。その中にはKahn Academyというのがあって、ビデオで有機化学を学べます(トップページ左上のCoursesをクリックすると、数学、物理、化学、生物学、歴史、ミクロ経済学、マクロ経済学、英語の文法、プログラミング(JavaScriptとか)なども学べます。たとえば前に紹介したenantiomer(鏡像異性体、エナンチオマー)について紹介しているビデオとかもあります。字幕がでるビデオですので英語の勉強にもなりますよ。

またサイエンスについては以下を参照してください。
http://oerdegrees.org/programs/science/

こんなのもあります。Libretextsというサイトで、無料で生化学、有機化学、量子化学や量子力学、統計力学、物理化学、政治学などほとんどなんでも学べます。化学へのリンクをあげておきます。
https://chem.libretexts.org/
またこちらにはSolderbergさんの教科書が1冊本のカラー版でおいてあります。章の順序立てがかわっていますが、一冊まるごとダウンロードできますのでご覧ください。

糖鎖生物学入門―7 ABO式血液型の話 その2 糖転移酵素をゲノムブラウザで調べてみよう!

(糖鎖生物学入門連載記事をまとめて読みたい方は固定ページにありますのでここをクリックしてください

さて血液型と性格に関係があるかという話です。この問題に関しては、どのような論文がでているのか、文献データベースであるPubMedで検索キーワード ABO blood type personality で検索してみました。すると今日現在で42個の論文がヒットし、関係のない論文も入っていますが、たしかにABO式血液型と性格の関係を論じた論文が公表されているのがわかります。こうした論文を自分で読んで考えられるようにすることを目標にABO式血液型の話を続けます。

今回はABO血液型を決定する遺伝子について調べてみましょう。どんな遺伝子が働いてA型やB型の血液型物質が合成されるのでしょうか。そしてその遺伝子はゲノムのどこにあって、周辺にはどんな遺伝子が並んでいるのでしょうか。まわりにある遺伝子には、もしかしたら血液型と性格の関連を示唆するものがあるかもしれませんね。早速調べてみましょう。

<糖鎖は糖転移酵素が合成する>

糖鎖は通常、単糖をグリコシド結合で連結する酵素(糖転移酵素:英語ではグリコシルトランスフェラーゼ glycosyltransferaseです)を使って合成されます。転移酵素という名前がついていますが、糖転移酵素は糖鎖合成酵素です。糖転移酵素には様々な種類があり、ヒトでは現在240種類ほどの酵素が知られています(CAZYデータベース参照。ケイジ―データベースと読みます。CAZYデータベースに関する動画はこちらをみてください。詳しくは註1参照)。

ABO式血液型物質も糖鎖ですから、糖転移酵素によって合成されます。まずO型物質を合成する糖転移酵素を使って、土台のO型物質が合成されます。そのO型物質にGalNAcをα1-3結合させる酵素をGTA、O型物質にGalをα1-3結合させる酵素をGTBと呼びます。この名称に含まれているGTは糖転移酵素glycosyltransferaseの略、AやBは血液型物質を示します。酵素タンパク質であるGTAとGTBはABO糖転移酵素遺伝子(遺伝子名はABO)がコードしています。

<ゲノムブラウザでABO遺伝子を探してみよう>
このABOという名前の遺伝子がヒトゲノム中のどこにあるのかを、ゲノムブラウザで探してみましょう。ゲノムブラウザというのは、いろいろな生物のゲノムの様子を表示してくれるソフトです。オンラインで使えるものが多く、いろいろ種類がありますが、今回は有名なゲノムブラウザであるUCSC genome browser (UCSCというのはUCがカリフォルニア大学 SCがサンタクルーズ分校の意味です)
https://genome.ucsc.edu/index.html
を使ってABO遺伝子を探しだし、この糖転移酵素遺伝子との周辺を眺めみましょう。
上のリンクをクリックして開くトップ画面の
上段部分にあるGenome Browserの部分をクリックすると以下のページが開きます。プルダウンから選ぶとアジアのサイトを使えetcというページがでて面倒なので最初は単に一回クリックしてください。すると以下のヒトゲノムブラウザのページが開きます。
右上にあるgoボタンの左にある検索窓に遺伝子の名前ABOをタイプします。するとポップアップウインドウが 開いて図のように遺伝子のちゃんとした名前が表示されますのでポップアップウインドウの中のABOの遺伝子名(alpha 1,3 GalNAc and alpha1,3 Galtransferaseなどと書いてあります)をクリックします。
すると検索窓にポップアップの内容が自動記入されますので、右側のgoボタンを押します。すると新しいウインドウでABO 遺伝子が表示されます。
検索窓の下にある帯状の図が遺伝子の存在するヒトの染色体の模式図です。赤枠で囲まれている部分にABO遺伝子があることを示しており、染色体の模式図の下には赤枠で囲んでいるあたりを拡大して表示してあります。染色体の模式図の一番左にはchr9 (q34.2)とありますね。これはABO遺伝子が染色体9番のq34.2の位置にあることを教えてくれています。これでこの遺伝子がヒトの第9染色体のバンドq34.2とよばれる部分にあることがわかりました。このようにして遺伝子名を検索窓に入れて検索すると、検索した遺伝子の存在するゲノム内での位置がわかります。

染色体の模式図の下にある拡大図ではABO遺伝子のエクソンとイントロンの構造がよくわかります。このABO遺伝子はGalあるいはGalNAcを転移する活性をもっているタンパク質をコードする遺伝子です。この遺伝子は354個のアミノ酸からなるタンパク質をコードしています。354個のアミノ酸の中の、たった4個のアミノ酸の違いでABO遺伝子の産物がGTAの機能(A型物質合成酵素活性)をもつか、GTBの機能(B型物質合成酵素活性)をもつかが決まるのです。O型の人はこの糖転移酵素遺伝子(ABO)の塩基配列の中に停止コドンが入っており、酵素活性のある糖転移酵素が合成できません。このためO型物質にGalやGalNAcが結合せず、土台のO型物質のみをもつO型の血液型になります。ABO遺伝子という名前の糖転移酵素遺伝子ですが、O型物質をつくる酵素活性はもたないので注意してください。

では、この遺伝子の周辺にどんな遺伝子があるかをゲノムブラウザで眺めてみましょう。
上の図のように開いたゲノムブラウザ画面の上のほうにはzoom in (1.5x 、3x、10x、baseのボタン)とzoom outのボタン(1.5x 、3x、10x、100xのボタン)があります。zoom inのほうのボタンは表示をさらに拡大(遺伝子を大きく拡大表示したりbaseボタンを押して塩基配列を表示)、zoom outのほうは遺伝子をゲノム中でもっと小さく表示して遺伝子の周辺をみるのに使います。
遺伝子の周辺をみたいときにはzoom outのボタンを押します。1.5xを一回押してさらに10xを押すと表示を15倍に拡大というふうに何回かボタンを押してみやすい倍率まで拡大縮小をするのが普通です。

ABO遺伝子の周辺をx10ボタンで拡大表示(zoom out)した例がこれです。
図ではABOの右側にSURF6, MED22その他いろいろな遺伝子があるのがわかります。
100xボタンを一回押した画面を下に載せておきます。
それぞれの遺伝子名をクリックすると、その遺伝子の説明が開きます。100xボタンを押して表示される遺伝子にDBHというのがありますね。これはdopamine beta-hydroxylase (DBH)遺伝子でこの遺伝子がABO式血液型と性格に関連があるという研究のきっかけになったことがある遺伝子です。これが論文です。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0126983

たしかに染色体の同じバンド内にありますね。この論文はGoogle検索してみると出版以来15回ほど引用されています。Web of Science検索では5回でした。

註1:糖鎖を合成する糖転移酵素や分解酵素など糖に関する様々な酵素が網羅されているデータベースです。ヒトだけでなくバクテリアからC. elegansやショウジョウバエ、ゼブラフィッシュやカエルや植物、マウスなど、さまざまな生物別に糖関連の酵素が網羅されています。

糖鎖生物学入門―6 ABO式血液型の話 その1

今日はABO式血液型の話をします。ABO式血液型の正体は糖鎖です。この血液型は血液型性格判断で話題ですが、本当に性格と関係しているのでしょうか。今回と次回で、その真偽についても考えていこうと思います。

ヒトには色々な血液型があり、血液型をになう様々な物質(血液型物質)がありますが(註1)、あまたの血液型物質の中で一番有名なのはABO式(えーびーおー式)血液型物質でしょう(註2)。輸血のとき必ず調べる血液型です。血液型性格判断でおなじみの血液型でもあります。ABO式血液型は昔(1901年)Karl Landsteiner (ラントシュタイナー)という人が見つけて、1930年のノーベル賞を授賞しています。輸血の時 このABO式血液型の適合性を確認することで、輸血が安全になったので有名です。A型の人の血液の中(血清)には、B型血液型物質に対する抗体があります。B型の血液型の人の血液には、A型血液物質に対する抗体があります。AB型の人の血液にはどちらの抗体も存在せず、O型の人の血液には A型血液型物質とB型血液型物質に対する抗体がともに存在しています。それで輸血(今では輸血には血液そのものではなくて、血液から分離した赤血球を濃縮したものを使います) の時、輸血する血液の血液型を、輸血をうける人の持っている抗体の存在を考慮して選ばないといけないのです。輸血された人の血液中にあるABO式血液型物質に対する抗体が、輸血された赤血球表面の血液型物質と反応するものだった場合、輸血された赤血球は抗体によって架橋されて凝集して血管が詰まったり、腎臓がやられたり、輸血した赤血球が抗体で破壊されたり(溶血です)して、命に係わる事故になることもあるというわけです。

B型赤血球をA型の人へ輸血した場合や(以下B to Aと略)、A to B、A to O、B to Oの輸血の場合こうしたことが起こります。血球でなく血液を輸血した場合にはドナーの血液中の抗体が、輸血をうける人の赤血球を攻撃して破壊しますが、抗体の量が少ない場合が多くマイナーな傷害でとどまることが多いようです。O型の人の血液をA型の人へ輸血した場合―O to Aや、O to B、もちろんA to B、B to Aの場合もこうした攻撃がおこります。

ABO式血液型物質は赤血球表面の糖脂質と糖蛋白質に付加されています(註3参照
ABO式血液型物質が、ヒトの赤血球表面の糖脂質(糖が結合した脂質です)に存在することを初めて発見したのが2018年10月に亡くなった山川民夫先生です。山川先生の発見の後、箱守仙一郎先生のグループがその糖脂質の構造を明らかにし、さらにABO式血液型物質合成酵素の遺伝子が箱守研究室におられた山本文一郎先生によって同定、クローニングされています。山本先生の書かれた岩波ジュニア新書 811 「ABO血液型がわかる科学」はABO式血液型物質研究の世界的権威が書かれた、ジュニアだけでなく生命科学系の大学院生が読んでもわかりやすく読みごたえのある優れた本です。是非読まれることをお奨めします。

ABO式血液型物質の構造を以下の図に示します。もうちょっとごちゃごちゃした表記も使われることが多いので、それについては私達が書いたこの記事の図もご覧ください

 

以前にも紹介しましたが、上の記号表記はとてもみやすくて、A型とB型の血液型物質の差が、GalNAc(N-アセチルガラクトサミン、ギャルナック)とGal(ガラクトース、ギャル)の違いだけだというのが一目瞭然です。O型(H型)物質にGalNAcがα1-3で結合したのがA型物質で、Galがα1-3で結合したのがB型物質です。図ではα 3と書かれているだけで、1がないのですが、前回紹介したように1位からでる糖鎖の結合を図で表すときには、1を略すことが多いです。つまりA型とB型の血液型物質の違いはH型血液型物質のガラクトースGalに、α1-3結合でGalNAcがつくか(A型)、Galがつくか(B型)だけの差です。ちなみにGalとGalNAcは以下の図のような違いにすぎません。
たったこれだけの差ですが、人はこの構造の差を厳然と区別していることに注意してください。これだけの差を生命が区別していることが、輸血事故の原因となっているわけで、糖鎖というものが本当に重要なものだと実感できるのではないでしょうか。これからの回で順次説明しますが、糖鎖は血液型だけではなく、実に様々なところで生命の根幹・基本素子として活躍しているのです。DNA/RNA、タンパク質につづく生命の第三の鎖と呼ばれるだけのことはあるのです。
さて、話をもとにもどしますが、上の記号表記なら、様々な糖鎖の中のどこにA型血液型物質の三糖があるかはすぐに見つけ出せますね。練習問題として以下の図の中からA型物質のパターンを探してみてください。

では次の糖鎖はどうでしょうか?一番上のA型物質の表記と比べてみてください。図を裏返しただけに見えますが、どうでしょう?

これはA型血液型物質でしょうか?上の図と比較して考えてみてください。

最後にPubChemで血液型物質を表示させてみましょう。ABO式血液型糖鎖の基本であるH型(O型)血液型物質はここをクリックしてください。また B型血液型物質はここをクリックしてください。
A型血液型物質はこちらです。

次回はABO血液型と性格との間に、本当に関係があるのかどうかを真剣に考えてみることにします。

註136種類も知られている、人の血液型の一覧はここにあります。
https://www.isbtweb.org/working-parties/red-cell-immunogenetics-and-blood-group-terminology/#collapse-1159-6
いろいろ情報がありますが、その中でも以下のBLOOD GROUP ALLELE TABLES を見てください。
https://www.isbtweb.org/fileadmin/user_upload/Red_Cell_Terminology_and_Immunogenetics/Table_of_blood_group_systems_v6_180621.pdf

註2:ABO式血液型はLandsteinerが1901年に発見したもので、最初はそれぞれの血液型にA,B,Cというアルファベット順の名前を付けたようです。しかしほどなくCという名称の代わりにohne A, ohne B(それぞれ「Aなし」、「Bなし」という意味のドイツ語)という言い方が普及し、ABO式血液型とよぶようになったそうです。O型の人はA型やB型、AB型のヒトと結婚すると子供はヘテロ(AOという遺伝子型やBOという遺伝子型)になるので、heterogenicという意味でO型をH型とよぶことがよくあります。H型というのは血液型の一つでもあり、H型の糖鎖構造の端っこに特定の糖が特定の結合の仕方でついたものがA型やB型の糖鎖構造となります。その意味でH型という血液型はABO式血液型の根幹の糖鎖構造であるわけです。

註3:
すべての糖タンパク質や糖脂質にABO式血液型物質の糖鎖がついているわけではなく、糖タンパク質や糖脂質のなかの特定の種類のものにABO血液型物質の糖鎖が結合しているということです。