終戦記念日とお盆が過ぎて思うことなど。

『宮沢賢治手帳 : 復原版』[本編],生活文化社,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2515053 (参照 2024-08-17)

去年、宮沢賢治について書きました。

宮澤賢治没後90年になるそうです。

オリンピックが終わりましたが、ウクライナやガザの戦争は続き、ますます拡大する様子です。終戦記念日の前後にはNHKなどで特攻だの原爆だの、インパール作戦だのの番組が毎年恒例のように流されます。しかしどうしてあの戦争がおこったのか、マスコミや政府、そして民間がどのようにして悲惨な戦争を遂行してしまったのかについて、そのメカニズムに迫るような番組はみたことがありません。悲惨な戦争についてその過去の経験をいくら平和を愛する国民につたえても、「戦争を実行するような」人には全く響かないのではないでしょうか。世界中がイスラエルやロシア、ウクライナなどに平和を説いても、聴く耳をもたない政治家ばかりのようです。どうしたら彼らを平和を愛するように変えられるのでしょうか?

今はインターネットがあって、SNSが普及しているのですが、戦争の当事者双方の意見を聞くのではなく、西側なら西側だけの意見の発信を許し、もう一方側の発信は検閲してしまうという傾向があるのは残念なことです。日本の戦時中の言論統制、朝ドラでよくでてくる国防婦人会のような戦争協力、特攻隊に志願する者は「一歩前へ」という同調圧力、そうしたものが今も世界中に跋扈している様子がSNSをみているとよくわかります。この状態をしっかりフォローして記録、そして研究していけば、いかにして戦争がおこり、続き、終わらずに拡大していくのかというメカニズムがわかるのではないでしょうか。そうした現在進行形の戦争の研究が、今後の戦争を阻止する手段や現在進行中の戦争の停戦のための手段を見出すために必要だと思います。

終戦記念日が終わり、お盆の行事を済ませたあとなので、宮沢賢治の次の言葉がうかんできて、ちょっと戦争について書きました。
国立国会図書館のこちらの賢治の手帳のページから、自筆の雨ニモマケズの原稿が読めます。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2515053/1/33

『東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい』(以下のサイトからの引用です)
https://www.yamanaka.ics.keio.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/amenimo.pdf

戦争の当事者双方に平和を説くことができる国であってほしいものです。