宮澤賢治の詩集「春と修羅」(大正13年1924年1月20日発行)には印象深い詩がいろいろのっています。最初のページ(序)はこんな風にはじまります。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979415/3
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
https://web.archive.org/web/20160325205750/http://why.kenji.ne.jp/haruto_f.html
だいぶ前になりますが、論文を読んでいる時、哺乳類のほとんどすべての遺伝子の発現はサーカディアンリズムによる日周変動をしているという論文をみつけました。そしてその発現変動を電気の交流回路になぞらえて説明しているのを読んで、賢治のこの詩を思い出して驚いたのを覚えています。その論文(下のリンクの一番下の論文)のとおりだとしたら、私達はたしかに有機交流電燈で、遺伝子の発現は交流を記述する理論のような遺伝子回路に従って、増えたり減ったり、つまり明るくなったり暗くなったりしているのです。私達の体は様々な遺伝子が細胞内でせわしく明滅している有機交電燈の集積なのかもしれません。賢治の詩人と科学者としての洞察あるいは直観の鋭さに驚かされます。下の詩も私の好きな詩です。ここより画像を引用しております。
関連する遺伝子発現変動の論文のリンクを三つあげておきます。
https://europepmc.org/article/pmc/5836834
https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.3109/07853890.2010.538078?needAccess=true
https://journals.plos.org/ploscompbiol/article?id=10.1371/journal.pcbi.0030120