元寇防塁の上で毎日暮らしていました!九大箱崎キャンパスの遺跡が国の史跡指定へ

今日夕方のNHK福岡の放送で、九大跡地の元寇防塁が国の史跡指定へというニュースを放送していました。調べてみると、九州大学が伊都へ移転する前に私達がいた箱崎キャンパス、それも理学部本館から中央図書館、農学部などにわたって元寇防塁跡の石組や溝のあとが点々とみつかっているようです。防塁あとは工学部へものびています。箱崎キャンパスの卒業生の皆さんはこの地図を見ると興味津々でしょう。この地図は九大が昨年発表したこの報告のpdfにある図からとったものです。理学部では理学部会議室の下あたり、ちょうどバーベキューをやれるスペースの周辺に石積み遺構あと(赤い線で表示)や溝状の遺構(青い線で表示)がみつかっているようですね。赤い石積み遺構は図の右上にある赤い点線(地蔵松原公園の元寇防塁遺跡)から農学部、中央図書館、理学部本館へと連続して続いているように見えます。理学部本館にあった私達の研究室は理学部会議室のすぐそばの二階にありましたから、毎日窓から眺めていたあたりに元寇防塁があったわけです。箱崎キャンパスは、昔は海に近かったようで松林の名残の松も点々としていました。去年、筥崎宮が元寇のとき避難してきた史跡を訪れた記事を書きましたが、やはり博多は元寇にまつわる史跡が多いですね。しかしまさか箱崎キャンパスの理学部や中央図書館、防音講義室、システム生命学府棟、農学部あたりに防塁があったとは驚きでした。

下の図は九大の所蔵する蒙古襲来絵詞(模本)の高精細画像です。主人公である竹崎季長(たけざき・すえなが)の活躍を描く絵巻物で18世紀末に発見された原本をかなり早い時期に複製したものと考えられているそうです。絵巻物の「季長、生の松原の石築地の前を通過する」の場面で防塁を通過しているところが描かれています。