岡田節人先生が1月17日朝にご逝去されました。(2017.01/19)

岡田節人先生が1月17日朝にご逝去されました。先生には3年ちょっと前、ハリソン賞のメダルの交付セレモニーで岡田研究室メンバーが集まったときお目にかかったのが最後となりました。元旦のブログに書いた氷川丸でWaddingtonのもとに留学された先生は、先取の気風のある彼から多くを学ばれたとのだと思います。Waddingtonは発生学研究にラジオアイソトープをとりいれたり、影響力の大きい発生の教科書を書いてepigenetic landscapeの概念を提唱したりという、いち早く最新のテクノロジーやアイデアをとりこむタイプの研究者だったと思います。後には力学系の理論にも興味をもち、R. Thomのカタストロフィーの理論を応援したりもしています。
岡田先生は細胞接着と分化転換をラボの二つの柱にされており、私が入学したときには竹市先生たちが細胞接着の物理モデルを提唱していたCurtisの本をセミナーで勉強しておられたと聞きました。van der Waals ?London forceとか、岡田先生がつぶやきながら講義されていたのも覚えています。電子スピン共鳴をやっている先輩もおられました。細胞接着のほうは竹市雅俊先生のグループのカドヘリンの発見に結実しましたが、そのブレイクスルーも岡田先生が出張で仕入れてこられたモノクローナル抗体という最新の実験手法をとりいれよう、という提案が実行されたことから生まれたのでした。(第一回の福岡で開催された分子生物学会でモノクローナル抗体の発表を岡田研究室がしたのを覚えています。)また細胞接着分子を欠失したマウスをつくろうという遠大な計画のもとに、F9細胞で細胞接着分子の研究をおこなったのもブレイクスルーのもとだったと思います。とにかく先進先取の先生でかつ、メンターとして後進にいつもやさしい気遣いと応援を(ラボのメンバーであるか否かはかかわりなく)してくださる先生でした。

写真は私が修士二年とのときに先生に同行してフランスのLe Douarinのラボに滞在したときのもの、そして九州大学に特別講義に来て頂いたときのものです。当時、講義室はぼろぼろでマイクも無く、教卓が講義中に壊れて先生と近くの学生が手で崩壊をくいとめたというのも思い出です(その後、教室にマイクが備わり、教卓も補修されました)。教室が満員になった特別講義で、学外からも多くの先生がたが聴講にこられていました。写真を撮るときに、3人でうつったら真ん中の人が早死にするとかいうし…などといわれて、学生と一緒に写真におさまられた先生です。そのさりげない気遣いに先生のメンターとしての風格を感じたものでした。

江口吾朗先生が決定的な実験を行われた分化転換transdifferentiationの業績をはじめとして、神経性網膜の分化転換などの研究も展開されました。こうした業績をまとめたTransdifferentiationというモノグラフや「発生における分化」という本にはこうした分化転換の御仕事がまとめられています(私の撮った写真もどちらにも載っています)。いったん分化した細胞が分化転換して配偶子などになるという現象(クラゲなどでみつかった現象)も一般向け解説書で紹介され研究者の卵に多くのインスピレーションを与えました。

分化転換という言葉は、しばらく主要な発生の教科書から消えてしまいましたが、発生で重要な役割を果たしている例がしだいに蓄積し、MyoDなどの転写因子を培養細胞に導入して筋肉をこしらえるというような分化転換の実験が注目され、分化転換という言葉が教科書や論文に頻繁にみられるようになった後、iPS細胞が誕生しました。
岡田先生のことはまた、折にふれてお伝えしていこうと思います。

寒波が到来するようですが、どうぞ皆様、お体を大切になさってください。
先生のご冥福をおいのりいたします。


2017.01.01 元旦

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
左の 写真は氷川。本年の元旦はこの有名な船の写真にしました。昔、たくさんの研究者がこの船にのって外国留学しました。私が学生だったころ、発生生物学会が横浜で開催された時(第25回大会)は、懇親会がこの船で開催されました。先生がたが
「この船でいきましたなぁ」と、感慨深げに語っておられたのを覚えています。今は、多くの留学生を迎える我が国です…。
お休みに読める無料本がありますので紹介しておきます。The Gene Ontology Handbookです。
Open Accessの本ですのでどなたでも無料でダウンロードできます。
GO termをよくつかう私達ですがとても勉強になる本だと思いますので是非ご覧ください。
もう一つ、統計解析に私たちがよく使っているRについてのニュースです。
Multi-threaded math libraries を含んでいて計算がスピードアップされている他、信頼性をあげ、かつ互換性をたもっているというMicrosoft R Openというものがでています。
Microsoft R Openというもので、RStudio も使えるそうです。一度お試しください。

では本年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様にとって今年が素晴らしい一年でありますように。


2016.07.30(土)アサガオが咲きました― メンデルの雑種植物の研究について(2016.07.30 土曜日)

今朝、庭をみると一輪の朝顔が咲いていました。
今年の一番朝顔です。
子供が小学校のとき自分の植えた朝顔だけ、葉っぱばかり茂って、一学期が終わったのに花がつかないと泣いていました。
ところが7月下旬から咲きはじめ、11月まで咲き続ける遅咲き朝顔で、結局クラスで一番たくさんの花がつく朝顔だったので、大喜びでした。

毎年毎年、こぼれ種で年をこして、 今頃から咲きはじめ、咲き続けてきました。

遺伝学では交配した一代目をF1といいますが、もう22年たっていてF22の朝顔です!
遅咲きの形質(表現型)はずっと保存されています。

九州大学の生物学教室の仁田坂 英二先生は朝顔で形態形成とその原因となるトランスポゾンの研究をしておられて、
ナショナルバイオリソースプロジェクト「アサガオ」のリーダーとしても活躍されています。
先生が作成しておられるホームページには朝顔についての様々な情報が集まっていますのでご覧ください。

先生は、変化朝顔図鑑(化学同人, 2014)というきれいな本もだしておられます。
朝顔の学術研究が始まって今年で100周年、栽培ブームが始まって200周年だそうです。
アサガオを使ったメンデル遺伝学の実験の情報も先生のホームページにありますが、
このような植物の交配実験からメンデル遺伝学が誕生したのでした。

細胞生物学の講義でも話しましたが、学生の時、メンデルの論文を読んだ私の第一印象は、「これは生物物理学の論文」である というものでした。その論文、「雑種植物の研究」には、優勢の遺伝子を大文字のA、劣性の遺伝子を小文字のaで示すという現代の表記法のもとになる表現が用いられており、下の 図のような数式が掲載されています。

当時実体がわかっていなかった遺伝因子についてちゃんと数値データをとって議論しており、表現型をしめすマメの数を数えて議論しているのが見事です。メンデル以前にメンデルとにた考えを思いついた学者もいたようですが、数値的に扱わなかったのが彼との違いだったようです。日本語訳は岩波文庫などで読めますが、無料のものはみつかりませんでした。英語やドイツ語なら無料のものがいろいろあります。
ドイツ語のもとの論文はInternet Archiveという無料の電子ブックやビデオなどを集めてあるサイト からダウンロードできます。pdfファイルの106ページからMendelの論文がはじまります。英語版が見たい人は下にリンクがありますのでそちらからダウンロードしてください。また英語、ドイツ語版の論文が両方読めるMendel webというサイトがあって、
読みやすい翻訳があります。
近藤滋さんのメンデルについての紹介 もおすすめです。
Internet Arhiveからは英語への翻訳本も、ダウンロードできました。
Mendelなどのキーワードで検索して探し出せます。 1925年発行の本で図はその本のページをスクリーンキャプチャしたものです。pdfだけでなく、iPadやKindle型式の本もダウンロードできますので試してみてください。Mendelはドップラー効果で知られる有名な物理学者ドップラーのもとで物理学を学んだそうで、物理の素養も深かったそうです。
下のような簡単な数式だらけの論文ができるのもうなずけます。  

2016.07.11(月)実験ノートの重要性1 

今日は実験ノートについてです。

以前、英国ケンブリッジにあるMRC 分子生物学研究所に保存されているBrenner先生(Nobel賞受賞者)の実験ノートの写真を載せたり
Pauling先生(Nobel賞を2度受賞)の実験ノートも紹介したことがありますが、
実験ノートと実験の生データの保存は極めて重要な習慣です。最近では研究者が研究倫理についての講習をうけることが各所で義務化されていますが、有名な本「背信の科学者たち」(ブルーバックス)などにのっている不正の例が、講習教材でもとりあげられていました。この本にはメンデルやニュートンをはじめ、いろんな有名人が登場しますが、不正ではないといいう意見があるのにざっくり不正と断定しているものも含まれるので注意が必要です。

たとえばミリカンというアメリカの物理学者もやり玉に挙がっています。彼は有名な油滴の実験とよばれる実験で、油滴が帯びている電荷が一単位、二単位というようにとびとびの整数値をとることを鮮やかに示し、電子の電荷の値を正確に測定することに成功して、電子の解明に大きく貢献した学者です。この業績でノーベル賞を受賞しています。「背信の科学者たち」(ブルーバックス)によると、彼の実験に不正があり、自分に都合のよい結果だけを選んで論文にしたとあります。しかしこれには異論があり、彼の実験ノートを詳細に調査した結果、すてたデータは電荷の算出に必要なストークスの法則にあてはまらないものだけだったなどの点があきらかになっています。ミリカンの実験データの扱いは正しかったという真逆の結論です彼のノートには、実験日の気圧、装置を減圧して測定してストークスの法則があてはまるとき正しい値がでるとを確かめた際の気圧もちゃんと記載されているそうです。これも実験ノートが残っていればこそできる調査ですね。

研究ではデータやサンプル(試料)の保存も大事で、たとえば生命の起源にせまろうとしたミラーの実験。放電実験でできたサンプルでミラーがなぜか調べなかったサンプルが見つかり、それを現代の最新機器で調べてみると、ミラーができたといっていた以外に、なんとペプチドもできていたのがわかった、というエピソードもあります。
私たちの伊都キャンパスにおられる森田先生が発見された113番元素はニホニウムという名前になるはこびですが、これはニッポニウムと呼ばれ一時は周期表にっものっていた、日本人が発見して命名した新元素へのオマージュでもあるそうです、この幻のニッポニウムも、原子番号の同定に誤りがあったのですが、残された資料の解析から実際に当時未知だった新元素を発見していたことがわかっています。ニッポニウムは、当時未発見だった新元素レニウムだったのです(日本化学遺産に登録されています)。

実験ノートと研究資料の保存は大事ですね。

真のリーダーシップをもった先生(2012.05.10)


私が大学院に入学した年の夏、東京で国際発生生物会議が開催され(1977年8月29日-9月2日経団連会館)、学会後のオプショナルツアーに同行させてもらいました。鎌倉から三崎の臨海実験所、箱根へと移動して一泊、その後、菅島の臨海実験所や伊勢志摩をめぐり、京都に向かいました。ツアーには岡田節人先生のかつてのボスだったEbert先生、Moscona先生、Abercrombie先生など教科書で名前をみた先生方が、多くはご夫妻で参加されていました。Ebert先生と奥様の隣の席でバスに乗って三崎の臨海実験所での有名な団先生のThe last one to goのエピソード (ここにもpdfがあります)をEbert先生から教えてもらったり、菅島の臨海実験所の先生にわざわざ紹介して頂いたり、かけだしの学生にとても優しい配慮をしていただいたのに今でも感謝しています。

Ebert先生と奥様はドライブの途中の交通事故でなくなってしまって(2001年5月22日)、再びお目にかかってお礼をいう機会もないのは残念です。

Ebert先生はすぐれたリーダーシップをもつ学者の見本の先生といわれています。リンク先のEbertご夫妻を悼む言葉を読んではじめて、先生が第二次大戦中は海軍で駆逐艦にのっておられて、日本の特攻機に船が撃沈されて海をただよっておられたことがあるのを知りました。生き残った最上級士官として、乗組員の戦死を家族に知らせる責務を果たす際に、同じ海軍にいた女性隊員の奥様と出会われたのだそうです。戦後、実験発生学を学び、カーネギー研究所の所長、ウッズホール臨海実験所の所長などの他、アメリカ科学アカデミーのVice-Presidentなどを歴任されました。戦争が終わってからは日本の発生学、発生生物学の発展のために40年以上にわたって格段の助力をいただいたと聞いています。そして亡くなる前には中国の発生生物学を学ぶ人たちを援助することに大変な力を注いでおられたのだそうです。

各人の才能を開花させることの天才というような先生で、花を育てる時、個々の植物に応じた水やりや肥料やりが大切ですが、科学者 個人個人によって異なる長所と、それぞれの個性によって違う研究方向をみきわめて、援助と財源獲得をすすめることで、米国の科学のみならず日本や中国の科学の発展にも大きく貢献されたと思います。Brown博士の弔辞の結びです。

In summary, Jim Ebert’s major contribution to 20th century biology was one of leadership. He directed others with common sense and intelligence removing obstacles so that scientists could mature and follow their own instincts. We have come to identify these principles with the highly successful administration of science that is practiced in the United States. (Donald D. Brown, Staff member, Department of Embryology , Carnegie Institution of Washington, September 2001)

写真は我が家のサクランボです。研究室のみんなと食べました。

実験ノートについて (3) (2009/10/10)

ノーベル賞のわくわくする発表も終わりに近づいてきました。イギリスのケンブリッジにあるMRC LMBからまた一人、(出身者というのなら二人)の受賞者が化学賞(リボソームの構造に関する業績)に選ばれています。ざっと数えて15個ほどのノーベル賞メダルがこの研究所からでています。

さて先日紹介したポータルサイトをみていたらノーベル賞を2つもらった科学者Linus Paulingさんの実験ノートがオレゴン州立大学の図書館のサイトに公開されているのに気づきました。以前紹介したBrennerFaradayの実験ノートとあわせてのぞいてみてください。そしてどんなことをノートに書かなくてはいけないかを考えてみて下さい。(最近ではコンピュータが発達してきたのでパソコンで電子ノートブックというのが使われるようにもなってきています。ノートにどのようなことを書くべきかをしっかり考えてこうしたノートを使うことが大切です。)

この大学の図書館にはLinus Pauling onlineというサイトができていて、彼の実験ノートの写真や鎌状(鎌形)赤血球貧血症の研究、化学結合論の研究、DNAの構造の研究などの紹介などの他に、長時間の講演会の動画も公開されています。DNAの構造解明でノーベル賞を受賞したCrickPaulingを回顧する講演などもありますし、講演のスクリプトがついていますので英語の勉強にも使えます。是非ご覧下さい。

Paulingは化学結合論の権威で量子化学を創始した科学者の一人です。DNAの構造を研究していたWatsonがPaulingさんの本「化学結合論 The Nature of the Chemical Bond…」が必要になって探し回っていた場面が有名な「二重らせん」という本の中にあったと思います(11章後半)。今話題のノーベル化学賞と平和賞を、後者は核兵器根絶運動の功績で受賞しています。47年も前のノーベル平和賞ですが、まだ核兵器はいっぱいあります。Paulingのノート(画面一番下のSelected Highlightsを見ると面白いです)には奥さんのコメントなどもはいっていてほほえましいものもあります。画像を拡大して上の方をご覧下さい。

実験ノートについて (2)

英国に保存されている実験ノートで最も有名なのはファラデーの日記Faraday’s diaryと呼ばれている
マイケル・ファラデーMichael Faraday(1791-1867)の遺した実験ノート(写真)です。
彼のクリスマス講演からできた本「ロウソクの科学」で名前をきいた方もあるかもしれません。

生まれたのは寛政3年(1791年) で、歌川広重、遠山金四郎や千葉周作などとほぼ同年代の人です。
1859年にDarwinが「種の起源」を出版していますからダーウインとも同時代ですね。76才でなくなったのは1867年、幕末で坂本龍馬の暗殺された年です。化学者で物理学者、彼の研究の上に現代文明が築かれた といってよい大科学者です。

磁気と電流の関係を発見して世界ではじめての変圧器、モーター、発電機を発明。磁気の光に対する影響の初めての発見(ファラデー効果)、電流の化学結合への影響を示した電気分解の実験(電気分解の実験でファラデーという単位名があります)、ベンゼンの発見、初めての気体の液化に成功、 そして遠隔作用と考えられていた電磁気を、近接作用と考える電磁場の概念のさきがけなど、どれ一つをとっても偉大な発見をした人です。たしか後にゼーマン効果とよばれる現象も予想して観測したのですが当時の観測機器の精度が悪く見つからなかったそうです。

重力と電磁気力の関係の探究などチャレンジングな研究も行っています。彼の研究を数学的にまとめることでマックスエルの電磁気学が完成したのだそうです。この大科学者が詳細な実験ノートを遺していると聞くと是非のぞいてみたくなります。写真はイギリスの王立協会にあるファラデー博物館に展示してあった彼の実験ノートの写真(私の撮影)です。1821年の実験ノートで Very Satisfactory, but make more sensible apparatus.と書かれた9月3日分の日記の下にある、9 月4日火曜日の日記を読んでみましょう。きれいな字で書かれているのに感心させられます。
TuesDay Sept. 4 と下線が引いてあり、その下は

Apparatus for revolution of wire and magnet. A deep basin with bit of wax at bottom
and then filled with mercury, a Magnet struck upright in wax so that pole just above the surface of mercury,
then piece of wire floated by cork, at lower end dipping into mercury and above into silver cup
as before, and confined by wire or capillary attraction from leaving the M. Pole
.“と読めます。

下 の写真(これも野村が撮影)に示した世界初のモーターについて述べている実験ノートの部分です。
彼の自筆の絵も入っています。こんな実験ノートをのこせるような実験がしたいものだと思います。

実験ノートについて(1)

科学を研究することはそれを職業にするにしろ、楽しみにするにしろ、とても楽しいことです。その楽しさを分かち合い、そして皆の共通の財産にできるようにするため、そしてせっかくやった研究や実験の結果を忘れないようにするためには、得られた結果はきちんと誰がみても理解できるような形で残しておくことが大切です。

実験ノートをきちんととりながら実験や研究をすること、そしてそれを保存しておくことはとても大切です。左と右下の写真は私達が英国ケンブリッジにあるMRC Laboratory of Molecular Biology (MRC LMB)にいって講演させてもらったときに撮したものです。たくさん並んでいる緑のノートは2002年のノーベル賞医学生理学賞受賞者 Sydney Brennerさんの実験ノートです。線虫シーエレガンス(C. elegans)の研究はここ MRC LMB(分子生物学研究所)で始まりました。線虫に薬剤を与えて遺伝子に異常を引きおこして、突然変異をもった線虫を次々と取得していった様子がこのノートに生き生きと書かれています。最初は突然変異をおこす方法とかもまだまだ試行錯誤だったので、なかなか変異体がとれませんが、やがて条件検討の結果、とれる数がどんどん増えていく様子、そして観察眼も向上していって微妙な異常も見逃さなくなっていき、突然変異体がどんどんとれていくという様子がよくわかります。もう40年以上もたつノートもありますがちゃんと保存されているのですね。イギリスにはもっと古い実験ノートも保存されています。次回はそんな実験ノートの話をしたいと思います。